『奏』の批評をいただきました
以前、入選した『奏』をとても丁寧にあつかってもらえたことが嬉しい。
厳しいと思われるコメントにも、やさしさを感じとれる内容でした。
書くことは、ヘアメイクや着付けのように長年している訳ではないから、
『空が』『空は』みたいに、たった一文字変わるだけで、
流れが変わってしまうことに
「これがいい。」としっくりくるまで何度も何度も書き直していく。
『奏』というタイトルも提出直前に書き直して、
「これでよかったのかな」と、ふと思うこともあった。
ある程度の自信をもって、勢いよく書けるときも、
どうだろうと思いながらも進む根拠のない自信のときも、
ヘアメイクなら、こんなことでは悩むことはないのに。そう思えるほどに積み重ねてきたんだな、と自分の人生の中でヘアメイクが貴重なものになってきていると思う瞬間がくるのです。
もし、特別な才能をもっていることが必要であったとしても、
他の人を通じて、「なにか足りない」と確認していくことも
私なりのセンスを磨いていく時間が必要なのかなとおもい、
私が書くこだわりの部分を
疎ましがられたり
価値を見出してもらえずに
「可笑しな日本語」と言ってわかってもらえない時も
私はこだわりの部分に執着していたわけではなくて、習得していたんです。
批評コメントでは、そのこだわりの部分をわかってもらえていた事が本当に嬉しかった。
初めて、きちんと私に「素晴らしい世界観」だと、真っ直ぐに想いを届けてくれた人。
遠回しではなくて、真っ直ぐにというところが嬉しかったのかもしれない。
批評コメントの結びには「御自身の美点を大切にして、〜」とも書かれていたことで
私はわたしのこだわり部分をより育てていく自信が湧いた。
瞳に映る世界は、
数字とかハッキリしたもの、
多数決でしか価値を測れないことが多くあるようにおもう。
周りがなんと言っても、
「私はこれがいい。これが素敵!私はこれが凄いとおもう!」と
心のこと線に触れるものや人を信じていくことにする。
明日もいい日で🦋
ICHI
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