慈悲
こんにちは、ICHIです!
あっちへ行き、こっちへ行き、またここへ戻ってきました。
お変わりないですか??
何か嘆いてないですか?
対人関係においてうまくいくときばかりではなくて、
距離が近いと受け止めにくいこともあったり・・・・毎日、いろいろありますね。
みんなそれぞれにわがままに生きている部分があって、いい加減な部分もある。
ついついサボってしまう事もある。笑
そんな愚かさも含めて完璧ではない存在としてみてあげる。
自分も完璧ではないと。
慈しみというおもいで人をみる。と言うことらしいです。(最近、教わりました)
【慈悲】
・慈の心=苦しみを抜いてあげたい
(相手の苦しみに何かしてあげたい。困っている人を放っておけない心)
・非の心=喜びを与えてあげたい
(相手を喜ばせ、楽しませたい。笑顔にしたいという心)
もし、相手に完璧を求めるとお互いにストレスとなるでしょう。
言葉にした本人も完璧でなくてはいけなくなり、かなりのストレスとなりませんか?
冷え冷えと何かを脅かすように、
望ましくないことへの指摘や批判、嫌うことは良い関係性の構築は遠ざかるばかりです。
美しい光を失ってしまうでしょう。
(自分にも他人にも厳しいタイプの方からしたら、「改善するための指摘って普通でしょう?」と思うかもしれませんが・・・。そうゆう話じゃなくて。)
冷たい心は【無慈悲】
無慈悲では決して幸せにはなれないし、愛は広がらない。
無慈悲な心を『オニ』と言うらしいです。(これも最近教わりました)
オニ→鬼じゃなくて『遠仁』と書き、『仁に遠い』という意味です。
【仁】とは優しさや思いやりの心のこと。
この心からほど遠い心の持ち主を『遠仁であり、無慈悲な人』。
相手に理想的な姿を求め過ぎてしまう人も、【仁】で成りたつ部分があるでしょう。
深く深刻に考えて自分を追い詰め、生きづらくなるのでなく
自分の中にある不甲斐なさ、情けなさ、不器用さを許してあげて。
相手の本質に気付く素質が眠ったままになっていることに気付けるでしょう。
それでも、慈しみの心は決して生やさしいものではなくて、
慈しみの心の土台になるものは、人間の本性のなかに存在するものとのこと。
最近、教わったことが誰かの役に立てたら嬉しいです♪
さて、「本心をもう少し見せて。」と想うのは欲張りでしょうか?
・世の中に存在するシビアな話題のなかにも、
ふと、優しい言葉が隠れていること。きっと、かなり優しい人なんでしょうね。
だからこそ、世の中のシビアな話題も優しさで包んで伝えてあげれるんじゃないかな。
・こんなに違うの!をどこまでも、フレッシュでポップな軽やかさのメッセージのなか、
いい意味でシビアな視点だったり、「私なら・・・」って聞かせて!って思ってしまうのは私だけ?(違ったらごめんなさい)
・時間の果てに来たようなノスタルジックな雰囲気に、もたれ掛かりホッとひと息つきたい日もありますよ。
もたつく世の中も、移り変わる季節も、
いつも変わらずそこにいる安心感が人が惹きつけるんでしょう。私もそのひとり。
・あ、ちょけてる。笑(ちょける=ふざける)
「もう、愛でるだけにしたらいいのに〜」って思ってしまうほど引き込まれるユーモアの世界観が悔しい!笑
博愛主義かと思えば、愛妻家かよ。って、信頼感まであっさり奪われちゃって。
もう、どうしようもないこの才能。
素敵です。
「何もわかっていないね、個人的な感情は余計だよ。」とお叱りを受けるかもしれませんね。
実際、書く内容によってはそうだと思います。
人々を導き、人のうえに立つ立場の方には、
夜空の星々をつなぐ糸となり星座を見せてほしいと思います。
明日もいい日で🦋
ICHI
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